昭和51年11月21日 朝の御理解



 御理解 第51節
 「天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え。」

 例えば金光様の御信心が人間が本当に助かる。人間が本当に幸せになって行く事のための、宗教だと行ったよな事をこの、51節は教えておられるように思うですね。そんなことは願われんと言う様な事はない。もうどんな事でも願えと。人間身の上の事もう何なりとも実意をもって、それは牛馬の馬の事に至るまでといっておられます。ただし実意をもって願えというところに、釘が一本さしてある感じがいたしますね。そこか改まり反省もしよう。本当な事教えろう。
 これから本当な事で行けよと言う様なものを、その実意をもって願えというところに感じますです。昨日は丁度先日からある大学生の方が、ある難儀な問題で参って来ておった。それが自分がおかげを受けたもんだから、自分の一緒に下宿におります、三人の大学生を導いて参ってきております。四人でいわゆる参ってきた訳です。それは女が二十歳前後の生徒、学生大学生ばっかりです。
 その交際をしておった女の人が妊娠をした。でこのままそのままではいけんから、病院に連れていって処理それをして、したいけれどもお金がないというわけなんです。それでその時お繰り合わせを、まぁお願いしとこうという事で、それがもう不思議に不思議な事でおかげを頂いてまぁ、無事に身ふたつにする事がだ来たという訳なんです、身ふたつと言うがあの堕胎をした訳ですね。
 だからそう言う様な自分がおかげを頂いたもんですから、その三人の友達をその連れて来ておりますが、まぁ本当に一人ひとりがもうあんただんいよいよ親不幸もんだね、というて話した事でしたけど。一人はその進学その勉強しなかったっと遊んでおって、その進学が出来なかったのに、親には進学が出来たというてその連絡をとっとった。ところがその親が近いうちにやってくると言う事になったんです。もうどうしたらいい。もう自殺でもそれこそしかねないような風なんですよね。
 それで私あのそれはもうならお父さんが見える前に、その一番始めんとこここでおかげを頂いて、一人に僕が一つあのついていってやって、ことの事情を実はこうだったというて話しなさいて。一年落第したからというて、人間の幸せ幸不幸に関わるようなことはない。いや一年落第しておったことが、かえっておかげになるようなおかげをこれから頂けれるんだと。だから親子さんでも、まぁ一応は怒られるかもしれんけれども、よく訳をいうて僕は一人じゃ帰りきらんというわけです。
 だからならその道々あんたが一緒に帰って、手厚くお父さんに説明をしてやれと言う訳なんです。それから一人はやはり同じまぁ18か19の女の子と同棲してる訳です。それでその親にその事を話した処が、親はもうかんかんに怒ってそのおなごとは別れてしまえとこう。女の方の両親はそれでも承知してくれておると。それでも頼みにいったら、そんならもうお前は勘当だというて、現在勘当の身でございますとこういうのです。
 そしてなら現在ならどんなにしておる、親の仕送りが受けてないから、食べていってるかというと、何か色々とアルバイトをやって。そこでほんに仕事がどういう仕事を選んだらよいかと、何だと思うかといったら、僕は今は勘当の身だけれども、自分の家が酒屋さんです。それでせっかくまぁ働くならば、その酒の事が分かる酒屋さんに勤めたい。私はそればってんそれを聞きながらほろとしましたよ。直接はまぁ許されるだろうとこう思うておるわけですね。
 けどもせっかくんなら仕事をするならば、その親の後を継がせてもらう、その酒屋の店に奉公したい。それは他の仕事を選ぶよりもその酒屋の仕事を、給料が例えば安かっても選んだがいいよというて、まぁ申しましたことでした。例えばその女の一緒に同棲しておるという、ただ親が許さないそして勘当だと。ならそのう本当に彼が、あのうお前今日は金光様に参ったが、親先生が別れろといいなさったら、別れないけんぞというてその来とるわけですね。
 ご神意を頂いたら悪い事ないんです。ですからねその結局親が、ただ自分の意思やっぱり自分が探してある息子の嫁は、親が呼んでやりたいというのが親の願いであって、結局親が分からんからいけない。いやそん言う事聞かんなら勘当だと言った様な事に、まぁなっておる訳ですけれども。そのお道の信心はとんでもないお届けばかりあります、あるような事がありますけれども、それに実意をもって願えと仰るから実意をもって願う。親に詫びるとか又はその彼が言う様に。
 そのせっかく就職するならば酒屋に就職して、酒の事を一通り覚えて親から勘当を許された時には、もう直ぐお役に立つようにと言う様な願いをもって願うならば、おかげになるよと。それからその親に嘘をいって、その進学が出来た出来とらんのに出来たというおるそれなんかでもです、詫びていけばそこにお取次ぎを頂いて、お繰り合わせを願うておけばお繰り合わせが頂ける。というその実意をそこに道をたててやるというかね、その道を教えてやるという、そこに私はお道の信心があると思うですね。
 実意をもって願えと。まぁどのような事であっても、その実意をもって願わせてもらうと。昨夜菊栄会でしたが、昨日はあの善導寺の久保山のお家で、あちらに菊栄会の皆さんがあの新築になりましたから、新築のお祝いに皆まいりました。そしてあちらを早く引き揚げてこちらへ帰ってきて、皆私の部屋にやってまいりまして、それから昨日の御理解を今日の御理解を一遍、頂いておかなければならん御理解だと思うから、というてあのテープをあちらへ私の部屋にもってきて。
 それからあれを聞くだけならまだ三十分で終わるのですけれども、その中に私がずっと御理解を入れて、どうでもここんところだけは、体得しとかならなければいけないところを、お話しをしておりましたから夕べは随分遅うなりました。それでもう休むかっていよるところへ、あの今宮崎から一連れ見えてとりますよという訳です。そんならこちらへ入って頂くかねというて、それから又あのお茶入れたりしておりましたから、夕べはもう何時じゃったろうな。あんたどんあもう三時じゃったの。それが眠かもん。
 もう本当にあのそう言う事がございましたが、昨夜その話しを致しました後にです、正義先生がもうとにかく親孝行と言う事は、親に心配をかけないと言う事だと思います、とこういうです。確かにそうですね親に心配をかけないと言う事は、まぁ親孝行に間違いないけれども、正義さんそれは違うばいというて私が申しました。それはね親に心配をかけないと言う事は、ただ親不孝をしないというだけじゃないかち私が。
 親孝行というのはね、それこそ夢にも思わなかったようなおかげが、親の上に現れて来る様なおかげでなからなければ、本当の親孝行じゃないです。というて久留米の井上さんのお話を致しました。井上峰子さんのお話しです。あちらの姉さんが神戸におられます。子宮癌で大変難儀な問題をの連絡がありました。その時に早速ここにお願いに見えましてから、当時お母さんがもうなんかて八十近くでしたでしょうか。母にはね又大変心配をかけますから母には申しませんとこういう。
 成程それが親孝行のごたるですね。けれどもそげな事じゃ井上さんいかんよ、て私が申しました。何が何でもね親が子思うとが、子が親を思うという思いは、もう親子の情熱より強いものはないち。だからいかにも親不幸のごとあるけれども、神戸の姉さんが子宮癌でこうこうだと。お母さんが一時はそりゃあの大変驚くかもしれんけれども、あの伝えておきなさいと。それからその事をお母さんに伝えられました。そしたら明くる朝から、もうなんかて80というお婆さんが毎朝朝の御祈念にずっとお参りになりました。
 もう親の思いちゃねもう歳とってから、もう月次祭にもお参りが出来んごとなったとこういうくらいの年寄りがです、いよいよ娘が子宮癌という事を聞いたら、明くる朝から一番口に起きて朝参りを始められた。おかげで子宮癌のおかげを頂いたですからね。親の思い親の一念。私は親に心配をかけるというても、それがよりおかげいうならば、力に親の力になる事であったり、光橋先生はなかなか皆さんがご承知のように、人柄がそんなわけですから。
 他の兄弟があの親のところに色んな悔やみ話しをもって来ると、親が心配をする。もうそんな心配すること親にいいなさんなちいうけれども、やっぱりいうというわけです。けれども、あんた方のお母さんに限って、例えばほんに困った事ないち言わっしゃるかもしれんけれども、絶対困らさっしゃらんよて。何故て信心があっとじゃないかて。そりゃあんたの考え方の方が間違っておるよ。私が一辺びっくりした事があるんです。
 若先生があのうあちらの九重の方の何か山の道路を作っておる時に、山の岩がですね下へ転がり落ちたんです。下に家があったんです。だから家の屋根をほいでその座席に落ちたんです。ところがその座席の隣には、子供が寝せとったふたりだけ。してもうおかげ頂いて、本当に広大なおかげを頂いた、ただ家がその岩で突き抜いたというだけで、住民やら別状なかったという、そのお届けがありましたですもん。
 それで私それから、2、3日したらそのばばしゃんが参って来ましたからね、ほんと二、三日前はあんた正義さんなおかげ頂いてからち。したらあの何事ですかちいう。なんごとですかち言う。こうこうじゃったげなばいちいうたら、はぁその事は知りもせませじゃったとこう言う訳です。親がそういうこと言うたら心配するから言わんというのが、正義先生の生き方なんですよね。又こう明日その危険な仕事を伴う仕事をしとるから、何時どういうことがあるじゃろうかと思うて。
 親にはらはらさせては親不孝だというので、そうだったでしょうけれどもね。だからそのそういう親に心配をかけないということが、親孝行ではなくて、親にねそれは親不孝をしてないようだけなんだよ。信心はもう親孝行しょうごつしてたまらんということにならなきゃいけないです。例えば私の両親がもういよいよ、私が修行の激しい時には、父が申しました。もうそれこそあんたが商売が出来て、商売もせずただその破れ靴履いて、破れカバンを下げて破れ服を着て。
 今日はあちら今日はこちらと言う風に、まぁお話しに回っておると言う様な時に、あんたが今のような状態だったら、私だんお四国さん参りをしなければならんと、こう申しました。というのは首に袋をかけなければならんと言う事なんです。私はそれを聞きよってからもう腹の中からおかしい身が湧いてくるんですよ。黙ってしよまぁ親のいうこと聞かせて頂いておって、まぁとにかくなら御祈念でもさせてもらおう、御祈念御祈念というて、御祈念をさせて頂いて。
 そして御祈念の後に御理解でも頂くと、又親達もそんならまぁ一頑張りしにゃのう、というのが私と親との間のことでしたから、その当時はやっぱり大変なやっぱり心配だったでしょうね親としては。もうそれこそ働くということを全然しないもんですから、信心を止めろとはいわん。けれども仕事をしながら商売をしながら神様又は信心。それでいいじゃないかと。そうたいのというたら親も安心したでしょう。又親が食べて、私共が生活にことがないくらいな働きは出来たかもしれません。
 けれども今日の合楽は開けておりませんよね。それこそ私はあのう本当に親孝行したと思うております。何故かともう親がもうそれこそ夢にも描いた事のないようなおかげを頂いて、93そして、80幾つという17ですからね。でまぁ半年の間になくなりましたけれども、もう本当にあの夢にも思わんような幸せを頂き感じて、おかげを頂いていったと思うんです。だからあの信心というのはね、私はいちあのよく申しますことですけれども、先祖をろくそうにしたりね粗末にしたり。
 親をに孝行親に例えば不幸をすると言った様な人が、おかげの頂ける筈は絶対ないと私はいう。そこでならその正義先生じゃないけれども、親に孝行じゃなくてその親に不孝しないという程度の人は沢山おります。もうそんな事親が心配するけん言うなと。けれども、それは本当の親孝行にいわばなることならば、私は本当の親孝行になるおかげを頂かにゃいけん。あんたもう忘れたかもしれんけれども昔、昔というか十何年も前にこんなことがあっとろうがというて正義先生に話したんです。
 先生の奥さんのお父さんが、いわゆる久留米の小川組の社長でしたね、もとの。そりゃもう大変な一代への財を気付いた、一代の分限者なんです。それがあの正義先生のところに来ると、非常にその大事にするもんじゃから、何時もほとんどその正義先生のところに見えておったんです。もう歳をとられてから。その時にその纏まったお金を正義先生にだして、こりゃもう誰んいいなさんなあんただけにやる、ちゅうごたる風にいわれてことがあったです。
 ところがその正義先生が、その親先生が親孝行なもんだから、お父さんあのそげなつはもらわんでん、もう結構こんなにやっとるから、そりゃあんたが直しときなさい。もう直す向こうは、お金をどがしこでんいわばあるとですからね。ただこうそうしてなら娘婿んところに、そりゃ来てからいうなら大事にしてもらうから、まぁそのお礼の意味もあったことでしょう。そのお金を正義さんあんたがもろうて、もらってくれというわけだけれど、正義先生はそれを返したという。
 そしてそれが親孝行だと思うとるもんですから、ちょうどこんな事でしたけれども、親実は、まぁもらいませんでしたというお届けをいたしました。でそん時私は申しませんでしたけども、はぁそりゃよかことしたのというとったけれども、後で申しました。ほんなこついうならありゃもろうとかにゃいかじゃったよと、そすとお父さんも喜ばっしゃる。その当時ここがちょうどご造営中でした。だからそれをなら親がこんな風にして、しておりますから思いがけない金ですから。
 こりゃご造営にもお使い下さいというたら、ご造営の上にもおかげ頂くだけじゃなくて、お父さんがおかげ頂くよと私が申しました。本当の親孝行ちゃそれなんですよね。それは神様を信じておるから、それができることなんです。その信心のない者ならば、正義先生が言う事が本当のことのようですね。親からだまらかだまくらかせてからでも、ちきってもらうという、人すらおりますけれどもそげなだんじゃない。親の方がもろうてくれ、いわんばかりに差し出したけれども。
 お父さん結構にこれだけのことはやっていきよるから、あんたがそれを私にくれなくても、あんたをお粗末にする様な事はせん。もうここでゆっくりあんたの気分のすむ間、あの善導寺の方へまぁ来ておんなさいと。こりゃあんたが持っときなさいというて帰った。いかにも親孝行のごたるけれども、それは実は親孝行じゃない。信心させて頂く者としては親孝行じゃないと。井上峰子さんの例えば姉さんが子宮癌だというたらもう、それこそ親が珠の緒が切れるばかりに、びっくるするだろうという。
 だから親には申しませんという。だから峰子さんそげなこちゃなかばい。親と子の思いというものはそんなもんじゃない。もしなら子宮癌で死んだ後に、どうして知らしてくれじゃったか、いうて泣いたらどうするかち私。それよりか神戸の姉さんからこうこう言うてきたということを、知らせてやりなさい。あんた方のお母さんも信心があるとじゃからというたら、本当に早速明くる日から朝参りを始めた。
 それこそ良くなって退院のおかげを頂くまで朝参りを続けた。もう80近いおばあさんが。親が子を思う思いの一念というものが、神様に通うておかげを頂いた。そしてそこに子供も助かりゃ親も助かるという生き方。そういう生き方を私は親孝行だと思うんです。それで正義先生がとにかく親孝行とは、親に心配かけないことだというそりゃ親孝行じゃない。そりゃ親不孝せんというだけのことだと。
 親孝行というのは場合によっては、それこそさっき大学生の、四人のお話を私もう一人はもう大変また深刻なお届けでしたけれども、もう言葉にも出されないような深刻な事でした。ですからそのまぁ事を申しましたがね、問題はどう言う様な事であってもです、実意をもって願うと言う事なんです。それが筋が立っておらなければならない。どこに筋が立っておるかというと、親孝行と言う所に筋がたっとりゃないけん。
 こりゃもう実意です。昨日の御理解を頂いて、今、昨日の御理解も何回も何回も私も頂きました。本当に私共の思いというものは本当に小さい。親教会の記念祭に十二月の三日です。百名のお参りを合楽からさせてもらう申し様あちらの教会でしております。で昨日私がまぁ思いましたことが、本当百名て百名てんなんてんいわずに、それこそあちらのお広前が狭いですから、二回に仕えてもらって一日は三井教会のご大祭。
 明くる日は合楽の教会の信者ばっかりが集まって、ご大祭を二日に分けてしたら、もっと有り難いことだ。二百名も参ればもう明日のお広前いっぱいなのだから。と私昨日の朝の御祈念中に、そのことをそう思わせて頂いたら神様からね、いうならばそげな細い考え方じゃいかんと言う様な事を、昨日お話しましたね。例えば今御本部で四回のご大祭が、春、秋、は四回あります。
 だからこれを五回にする。一回は合楽からお参りをお参りで一日のご大祭ができるようなおかげを頂くように、願えと言う様な事を頂いた。それを頂いた途端に、ほんなこと大阪あたりの大きな教会が、その二千名もお参りがあるという話を聞いておったが、ほぉと思いよったけれども、神様の御働きを持ってするならばです、ご本部のあの祭場が一万五千あれば二階も下もいっぱいになるんです。一万五千しか入らんですから。
 ですから九州から合楽から、一万五千人お参りすりゃなるほど一日のご大祭が、合楽だけでできるんです。こりゃ夢じゃないできると私は思うたですね。本当に神様のご機感にかなう信心をいよいよ進めて行く。今から申しますように、いよいよ合楽の信心が二十数年間続けてきた信心を求める。そこに合楽理念ができる。合楽理念に立脚して最近の成そうと思えば、子供でも成せるような事を疎かにして来ておったことを、実意丁寧神信心をもって、なしていくならば。
 いわゆるお道の信心の、いわゆる合楽の信心の、完璧の域に入ったとまで思われるような信心ができてきた。そういう信心に志しさせて頂いたら、もう途端に合楽では大変な、いうならば御比礼の長が見えておる。毎日毎日いうならば奇跡の連続である。なるほどこの調子でいくならばです、例えば合楽から一万五千の信者がね、それこそ何十台かの列車を連ねてです、団体参拝をさせてもろうて、一日だけは合楽のご大祭と言う様なご大祭ができる。それも夢ではないなぁと私は思わせて頂いた。
 まぁそういうお話を昨日させてもらいましたですね。そして昨日食事の時にあちら下がらせて頂いてから、私はいつも西日本新聞の、あのその日の運勢という小さいらんが出てるです。あれには虎年の人はどう言うこと、そげん書いてもうそれが的確にあたるんですよね。昨日はどういうことを書いてあったか、というと空手形にならんようにと書いてあったです。私は見てから又改めて驚きました。
 私はっの神様にそれこそ、ご本部参拝大祭という一万五千のその、信者がねその団体参拝ができるようなね。いうならそれがそういういわば有り難い、なら尊い願いというものを、持たせて頂いたんだけれども、それが空手形に手方に終わらんように、それが本当に私が改めてですそれが空手形にならんように、それこそ一歩一歩確実に、その域にまぁ迫って行く様なおかげを頂いていかなければならないな。信心のいよいよ油断は出来ないなぁという風にまぁ思わせて頂きました。
 皆さんの願いが例えばそれはもう本当に、こげなことと昨日4名の大学生のお話を聞くと、もうむちゃくちゃなような感じのお届けばっかりでございましたけれども、やっぱり切羽詰まってなら、神様にでもお願いしようということで参って来ておるから、それに実意をもって、実意といういうならば生き方をです、そこに道を付けてやって、親父が見るところをは詫びていて。又はそうだこうだとただ普通の人間の考えでは、親父もつかないようなところに生命を頂いて。
 いうならば結果においては、親に又喜んでもらえるようなおかげ。親孝行が出来るおかげを頂かなければならん、というところに睦び付けてのお取次ぎであった。なら皆さんでも、やはりやはり人間がする宗教だと、私は今日申しましたが、様々な事があります。こんなことまでお願いが出来んというようなことがあります。先日あの豊後森の坂井さんというところの、お導きで参って来る方である。坂井さんのところ尋ねてきてから、合楽に大体毎日参ってもよかろうかというてきたげな。
 そりゃよかごなことじゃないですよ。参るなら親先生がお喜びなさるよというたら、それでもそのあつかましかごたるちいうわけ。んどうしてやちゅうたらそん参るたんびにおかげ頂くからとこっち来て。参るたんべんにいうならば自分の、まぁ我情我欲な事であってもお願いをさせてもらりゃおかげ頂くから、毎日参ってお願いしては気の毒かち言う訳。だからそう云うことはない。もうどう言う事でもやはり願わせて頂かなければならない、おかげを頂かなければならない、それこそ牛馬の事に至るまでと仰る。
 氏子身の上何なりともとこう仰る。だからもうそれこそ身の上の上の事にもう一切どういうことでも、お願いをさせて頂いてよいのですけれども、最後にね実意をもって願えとおうせられる。だからこういう生き方なら、神様に喜んで頂く事間違いない。今の合楽理念にたっての信心ということは、もうこの道をいけば絶対だと、間違いのないおかげの受けられる、いわば真の信心をさせて頂けば、必ず肉眼がおいて、心眼が開けるというほどしのおかげ。心眼が開けた時に、初めて人間の幸福というものがある。
 難儀と言う事ではない。困ったと言う事ではない。心眼をもってするとそれはお礼を申し上げなければならない事ばっかり。そのお礼を申し上げなかければならない事ばっかりの、世界に住むと言う事が、信心のいうなら神様の願いなのです。だからその過程として、その神様をいよいよ信じられるためにです、まず親に孝行親不孝せんというだけではなくて、親に孝行しとうてたまらんと言う様な、信心が育って参りますと、いわゆる自ずと実意は出て参ります。
 昨日夕べも高橋さんに、話その一緒に話した事でした。今その三福寿司というのが、九州もうほとんど全県に支店があって、なかなか今不景気で、そのうまぁ赤字が続いておる。まだ両親が健在でおられる。だからもう両親が亡くなったら、明くる日から貧乏してもかまいませんから、両親がいよいよもう定利がやっていって、もう間違いないますます三福寿司が繁盛するに違いはないという、軌道にのるところまでは、おかげを頂かせてもらわなければ。
 まだ今の状態で親が亡くなる様な事どんがあったら、本当に一生の不覚と言う事になりますから、どうぞ親が健康がおる間におかげを頂かせて下さいという願いならば、私はおかげになると私はいうです。私共でもやっぱりそうでした。この両親に親孝行したいばっかりになら北支あたりまでも、出稼ぎをさせて頂いたわけですけれども、反対に裸で引き揚げて帰ってこんならん様な状態になった時に。
 もう目も当てられないと思うた。そこで神様に両親が亡くなったらもう、明くる日から元の黙阿弥というですかね、貧乏になってもかまわんから、両親のおる間に一つ分限者にならせて下さい。と言う様な私は本当にそう思いました。もう親が死んだらもう明くる日から又、貧乏に成ってもかまわんと思いました。そういう願いだから、神様はやはり夢にも思わないようなおかげを下さった。
 だから親にどうでも孝行しとうてたまらんと言う様な心こそ、今日私は実意だという風に聞いて頂いた。その実意をもって願えというのです。何でも良い。どの様な事でも良い。こんな事は願われんということはない。実意をもって願わせて頂く信心。そこに金光教の信心の、まぁ庶民的というかね、庶民的というよりも人間が頂く宗教だと言う風に、いよいよ強く感じさせてもらいますですね。
   どうぞ。